A-yoshiki'sブログ

~言葉の種まき~

「善」と「悪」について考える(人を殺すことも含めて)

イケダハヤトさんが「なぜ人を殺してはいけないのか?」という記事を書いています。

記事の内容とそれに対する意見がとても面白かったので私も書いてみます。

http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/26916

 

そもそも私は、この世界に絶対的な善や悪はないと思っています。

それは人を殺すということに関しても例外ではありません。(つまり、人殺しも善になりうるということです。)

だから、私の考えでは、唐突に「なぜ人を殺しててはいけないのか?」という問いは存在しません。もしこの問いがあるとすれば、何らかの前提が必要です。

例えば、

人類が成長していくために、なぜ人を殺してはいけないのか?」とか、

あなたが愛に近づくために、なぜ人を殺してはいけないのか?」など。

 

ある一定の条件や方向性に基づいて、善や悪が決まります。

でも、ここでも「善」とか「悪」という使い方はちょっとしっくりきません。

むしろ、「近道か、遠回りか」みたいなニュアンスです。

上記の例文を言い換えてみます。

「人類が成長していくために、なぜ人殺しは遠回りなのか?」

「あなたが愛に近づくために、なぜ人殺しは遠回りなのか?」

という感じです。上下や善悪ではなくて、方向性です。

「海に行くために、なぜ山に向かってはいけないのか?」ではなくて、

「海に行くために、なぜ山に向かうことは遠回りなのか?」ということ。

自分や集団の立ち位置と向かいたい方向があって、そこに近づく方法は「善」となり、逆に遠くなる方法は「悪」と表現されるのだと思います。

 

問題は、個人や集団がどこに向かっているか?あるいは、向かいたいと思っているか?ということです。

個人や集団が、愛や平和や成長を望むのであれば、人殺しや戦争は「悪」になるでしょう。逆に、争いや憎しみを望むのであれば、それは「善」になるのです。

 

私は、「人殺しはいけないことだ」という価値観を支持します。

しかし、それは絶対的な価値観(すべての人や社会の価値観)ではない。

その前に問われるのは、「あなたは、どんな世界を目指しますか?」ということ。

そしてその世界に照らし合わせて、人殺しはあった方がいいですか?ない方がいいですか?という議論なのだと思います。

そして、この選択権が人類(私たち)に与えられていることが重要だと思います。

つまり、最初から「これが良いことで、これが悪いこと」と決められているのではなくて、自分たちでこの世界をデザインできる。デザインを許されている。

ここでは人殺しや自殺ができる選択肢も排除されていないのです。

 

たぶん、これは愛です。

 

この世界の創造主は、すべて自分一人で創ってしまうことはしなかった。

私たちに自由に創造するスペースと時間を与えてくれた。

「さて、どんな世界を創るか?」

そう、私たちもまたこの世界の創造主なのですよ。うん。