A-yoshiki'sブログ

~言葉の種まき~

「甲子園の砂を持ち帰るな!!」と、言いたいのだ、おじさんは。

プロ野球はあまり好きではありませんが、夏の高校野球は好きです。

今日は休みだったのでけっこう見てました。

 

でも、一つ違和感が・・・

 

それは試合に敗れた高校球児たちが、涙を流しながら甲子園の砂をかき集めるシーン。

一般的にはお涙頂戴の場面なのかもしれませんが、個人的には急速に冷めてしまいます。なぜなのか考えてみました。

一つの形式的な儀式になっていないか?

敗れた球児たちは一様に砂を持ち帰るので、それが”常識”になってしまって、一つの”形式”になってしまっていると思います。

それはもう勝った選手が誇らしげ校歌を歌うように、負け選手が涙を流して砂を集めるのです。

それまで炎天下の中、さらに熱い戦いを繰り広げていた選手たちが、負けたその直後に、その悔しさに没頭するのではなくある形式的な行動をとってしまうことに違和感を感じてしまいます。

全力で戦った直後に、未来のことなど考えるな

結局、砂を持ち帰るのって、未来の自分のためですよね。

ここで戦ったことを忘れないように、とか、思い出に、とか、誰かに見せるためにとか・・・

ちょっと簡単に言ってしまうと、甲子園で戦ったことに対する証明やお土産のためですよ。

そんな球児たちに言いたい。

「今、ここで戦ったことがすべてだ。そんな砂なんてなくてもその真実は曲げることはできない。今の自分を焼き付けよ。未来のことなど1ミリも考えるな。」

結局ただの砂だろ

結局のところどこからか持ってきたただの砂です。

極限の戦いをして結晶のように凝縮された球児たちが、そんなただの砂を一生懸命集めている姿にギャップを感じてしまいます。

例えば、高級なスーツを一点の隙もなく着飾った紳士が、汗流しながらラーメンすすっているような感覚。

 

思い出を大切にするのもいい。

でも今はその時ではない。

ただひたらすら今という瞬間に没頭せよ。

 

高校野球好きのおじさんのちょっと野暮ったいメッセージです。