A-yoshiki'sブログ

~言葉の種まき~

自分のやりたいことがわからない人たち

  自分のやりたいことをやりなさい、と言われてやりたいことができる人は幸せです。

  たいていの人は、自分がやりたいことなんて、ましては、人生をかけてやりたいことなんてよくわからない。

 

自分のやりたいことがわからない、できない人たち

  今という時間に生きていない人

 たとえば「自分の将来のために勉強しなさい。」といわれ育ったような人は、意味もなくただその一瞬のために生きるということが苦手です。今という時間は未来を成功に導くためのプロセスであり、今のための今ではない。その感覚はもう骨身にしみてしまっていて、無意識のうちに今ではない時間のために生きてしまう。こういう人は、今という時間に理由が必要です。「〇〇のために、今はこれをやる」とか「〇〇するとこうなるから、今はこれをやる」のように、頭で計算するわけです。未来から逆算して。

 すると、今という時間に対する集中力、純度が薄れ、本当に今やりたいことにモヤがかかってしまいます。見えなくなる。

 ディズニーランドに行って、その瞬間の夢のような時間に浸れずに、明日から仕事だ~とか思ってる感じ。未来に追われて、今やりたいことや、今の幸福がわからない。感じない。

 何かを決断するのも“明日”です。今日ではない。

② 失敗を恐れる人、許せない人

 こうゆう人は、たとえば三日坊主で辞めることが許せません。恐れます。

 ある種の挫折だからです。

 そうすると三日坊主になることを恐れて、自分がやりたいと思ってもチャレンジしません。チャレンジしないから可能性が広がらず、自分でやりたいことやできることがわからない。そのストレスから、チャレンジすべき対象自体を否定します。

 「酸っぱいブドウ」のキツネのように、高い所に美味しそうに実ったブドウを前に「どうせこんなブドウは、すっぱくてまずいだろう。」と食べる前からそのブドウの味を否定することでクールな振りをして諦めてしまいます。さようなら。

 ③ 熱量(テンション)の低い人

 人それぞれに物事に向き合う時の熱量というものがあって、それは理屈ではなく内から湧き出るパワーのようなものです。

 この熱量が常態的に低い人は、物事に積極的に取り組むパワーがなかなか生まれてきません。なにかするにも受け身の形が多くなります。ですから自分がやりたいことも見つかりにくいし、行動に移すにも億劫です。

 これは単に努力とか心構えとかそんな言葉で片付けられない要素も含んでいると思っています。遺伝とか性格とか体質とか、そんな部分も。

 だから、このような人に自分がやりたいことをやりなさい、といっても当然のように「別にありません。」となりますし、それがその人自身の表現の可能性もあります。

 

でも、そのままでいいと思っている人は少ない。

 以上のように自分のやりたいことを諦めている人は多いでしょう。あるいは人生の流れに抗うことへの諦め。それでもきっと、「このボタンを押すだけで、あなたが本当にやりたいことが見つかって、そこに進むことができるよ。」となったら、多くの人がそのボタンを押すでしょう。

 私はこのギャップが不幸だと思います。

 自分の可能性の数パーセントも感じることなく、そして自分の魂のことばにも触れることなく生きる。でも、本当はそこに触れたい、感じたい。心の底から切実に。

 私もその一人。

 神は、私たちのような人間のために、多くのメッセンジャーを送ってくれています。求めれば意外と近くにあるその人たちのことば。そのことばに触れるたびに魂が震えるのですが、私は今も自分が本当にやりたいことに向き合えていません。もう少しで何かが掴めそうな予感。でもそれを掴むためには、今、何かを決断しなければならないという焦燥。

 時々悶えています。(いつもではありません。常に悶えられるような集中力があれば、とっくに何かを掴んでいるか、自殺しています。)

 

 神よ、メッセンジャーたちのことばは、確かに届いています。届いています。

 でも私の小さな器では、そのことばを溜めておくことができません。自分の糧にすることがきません。

 

盃いっぱいに魂のことばを注いで、一気に飲み干し五臓六腑に沁みわたらせたい。

そして、酔いにまかせて自分を守る固い鎧を脱いで、ただバカみたいに踊ってみたい。