A-yoshiki'sブログ

~言葉の種まき~

私が今でも頭が上がらない、こんな友達

 少年時代に心からすごいと思った友達には、今でも頭が上がりません。

 そんな友達をご紹介。

おしっこを遠くに飛ばせる友達

 学校帰りはよく道草をしていました。道草の途中で友達と並んで「立ちしょん」をしたときに、その飛距離の違いにちょっとした敗北感と友達への「すげー」という感情が湧きました。

 これは今でもちょっとうまく説明できませんが、ひょっとしたら雄としての生存競争の一種なのかな?と思っています。たとえば雌を獲得するとき角の大きさや毛並の見事さを競うように、私はその友達とおしっこの飛距離で無意識のうちに競っていたのかもしれません。

 その友達は少し誇らし気でした。

「缶けり」のオニで、缶を倒されることを恐れない友達

 そもそも「缶けり」が全国共通の遊びかわからないので、簡単に説明しますと、ベースは鬼ごっこですが、オニは、隠れた全員を見つけるまで、立てた空き缶を倒されても、倒してもいけない。缶が倒れてしまうとまたゼロからやり直し、というものです。基本、オニは缶から遠く離れません。離れると缶を倒されてしまうからです。でも、缶から離れるリスクを冒さないと隠れている友達を見つけることができない。

 それで、オニになるとその子のメンタリティーを垣間見ることができます。リスクを冒しても(缶から離れて)探しに行くチャレンジャーなのか、それとも缶を倒されることを恐れてリスクを冒せない慎重派なのか。大きく分けるとこの2つに分けられます。あとはその度合いの違いです。

 その中で1人、とんでもないチャレンジャーがいました。私の家の前で缶けりをしたとき、オニになったその友達は、全員を一気に見つけるために缶から離れて私の家を一周したのです。通常オニは缶を視認できる範囲でしか動きません。缶を倒されることを恐れるためです。しかし、彼は違いました。まさに奇襲攻撃。家の裏までは探しに来ないと安心していた私たちは、度胆を抜かれてしまいました。

 彼のある種の楽天的な行動力には、努力では越えられないような、本質的な差を感じてしまいました。

学校をさぼって、1人で電車に乗ってしまう友達

 その友達の家は貧しい家でした。それはその服装や持っている物や雰囲気や色々な物がそう言っていて、子供の私たちは敏感に感じとることができるのです。そうすると当然のようにイジメの対象になる。

 でも、その友達は他のイジメられっ子と少し違っていました。イジメられても堪える様子がないのです。飄々としているというか、幽霊のようなというか。授業中も休み時間もほとんどしゃべりません。それでいて全体としては、少しさわやかなイメージさえ与えるから不思議です。

 そんな彼がある事件を犯しました。「学校をさぼって電車でGO!」事件です。

 私にとっては学校をさぼることだけでも思いもよらないことだったのに、私がまだ乗ったことのない電車に(当時5年生)、彼が1人で切符を買って乗ってしまったことに強烈なショックを受けました。

 駅員に尋問され、あえなく御用となったわけですが、先生に猛烈に怒られている彼を見ながら私は、「彼にはどうにもかなわない。」という、気が遠くなるような思いを抱きました。 

 彼はどこに行きたかったのか? これを考えることは、私にとって、宇宙の果てを追いかける作業に似ています。

転校生を励ます、転校生

 小4年生の夏休み明けだったと思います。2人の転校生が私のクラスに来ました。

 私は最初、この2人が同じ学校から転校してきたものと思っていました。2人とも関西弁をしゃべっていたことと、1人の転校生がもう1人の泣きじゃくっている転校生の肩を組んで、しきりに励ましていたことがその理由です。

 私の同級生も同じように思っていたようで、それを前提に2人に話かけていたし、そうでないとわかった時に(2人の父親は同じ関連会社であったが、全く違う学校から来てこの教室で初めて出会った)、自分が転校生である不安を抱えていながら、なお同じ状況にある人間に励ましの言葉を掛けることができるその転校生に、私たちは今までに出会ったことがない全く異次元の人間性を感じたのでした。

 その後、彼とは高校まで一緒で、毎日一緒に通学し、私にとって唯一無二の親友になったわけですが、今は音信不通です。フェイスブックでも探せません。